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無意識に可能性を奪う言葉

「今日、学校で嫌なことなかった?」に引き続き、無意識に子どもに対して意識づけをしてしまうことの例を紹介します。

映画「ビリギャル」のもとになった坪田信貴先生の『「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない』という著書からです。

 

坪田先生は、塾の先生として保護者、生徒、先生の三者面談をするときに、「子どもを束縛したくない」と言っている保護者の生徒ほど親の顔をちらちら見ながら回答しているという例を挙げ、

「親は、はっきり意図してというより、無意識の反応や声かけによって結果的に束縛してしまっています。」と書かれています。そしてその例を紹介しているので、自分も思い当たるなと思う二つをそこから紹介します。

 

「何もしなくていいから座ってて」

悪く言えば過保護ということになってしまいますが、それよりも面倒が起きないように言うことが多い言葉のように思います。子どもが「お手伝いする」と言ってくるとき、「一緒にご飯作りたい」と言ってくるとき、散らかってしまうことや思い通りに作れない可能性があることなどを考慮し、「何もしなくていいからあっちで遊んでなさい」などと言ってしまいたくなることがあります。坪田先生によれば、このように行動を制限されると、自分で何をしていいかわからず、指示待ち人間になってしまうということです。

 

「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」

こうだからこう、という物事を四角四面に捉える子になってしまうということです。また、「お兄ちゃんであること」の責任感から逃れられなくなってしまいます。

これも言ってしまう言葉ですが、子どもにとっては「なぜお兄ちゃんだとそういう行動をしなければならないのか」「下の子はよくてなんで自分だけだめなのか」という気持ちを抱くことになります。私も長子ですのでよくわかります。小さいころは可愛がってもらえていたのに、下の子ができると途端にお兄ちゃんにさせられてしまいます。そうやって育っていくものだというのもありますが、気持ちを押し込めながら生活しなければならないので、どこでその気持ちが溢れ出てしまうのかなと気になります。

 

こんなふうに親としてはどうしても言ってしまう言葉が、無意識に子どもの方向性を決めてしまうことがあります。親も無意識に口から出てしまう言葉ですが、少しでも立ち止まって意識できると、子育ての役に立つかもしれません。

 

(参考文献:「人に迷惑をかけるな」と言ってはいけない 坪田信貴)